なぜ自分の誕生日が大キライだったか
そもそも、私は私自身の事が大キライな時期が長くありました。(今も好きだとは言えませんが・・・大キライまでではなくなりましたね。)
なので、自分の誕生日がキライなのも当然と言えば、当然だったかもしれません。
この辺りは、根本的な理由は同じだとは思います。自分がキライ、大切に思えない。
こう思うようになったのは、私なりの理由があります。
自分の誕生日が大切な日だと思えなかった理由
自分の誕生日が大切な日だと思えなかった理由は色々あります。
修了式前後、通知表をもらう日だった
私の誕生日は3月下旬。学校の3学期が終わる修了式か春休み1日目になることが多かったです。
終業式、修了式といえば・・・そう、通知表です。
成績内容にかかわらず、成績表を貰うのは憂鬱でした。成績が悪かったり、先生のコメントが悪かったり・・・。そうすれば、怒られます。
もしかしたら、親は怒っていたのではなく感想を言ったりや注意していただけのつもりかもしれないですが・・・。さらに気持ちを切り替える事が難しい私にとっては、誕生日おめでとうという雰囲気でもなかったんです。
誕生日会をやってもらえなかった
友人達の誕生日会には招待してもらっていました。しかし、私の母はそういったことが苦手で、誕生日会をやって欲しいとお願いしてもダメでした(ちなみに金銭的問題というのは、特になかったはずです)。
でも、確か1回くらいやってくれた気がします。続かなかったと言うことは相当イヤだったんでしょうね。夕食は誕生日仕様でしたが、家族と友人は違うんですよね。
今思い出すと、友人の親はちょっと気にしていた気がします。かといって、誕生日会を開かないのも自分の子どもに悪いし、仲良しの私を呼ばないワケにもいかないので、板挟みだったかもしれません。
友達から祝って貰えなかった
これは、祝って貰えない自分にも問題があったかもしれませんが・・・。
自分は友人を祝ってばかり。プレゼントもあげる一方で。
時期的に皆は春休みに浮かれ、クラス替えを楽しみにして、私はちょっと切ない気持ちになっていました。「誕生日なんだ!」と自分でアピールするのは、ちょっと違うかなと思うタイプなので、致し方ないですね。
私の誕生日なんて、どうでもいいんだ。
主に、親の対応で「私の誕生日なんて、私なんて、どうでもいいんだ。」そう思わされたのが大きな原因だと思います。
誕生日おめでとうと言われても、どう反応したらいいかわからないし、嬉しくも無かった。何がめでたいのか。と。私自身が、そういう感性の持ち主だったのもあるかもしれないですね。
私のせいで離婚できなかった
「離婚した方がいいかもと持った時には、お腹にいた」
母は、ただたんに現実に起こったことを話しただけでした。でも、私的には非常に深く傷ついた言葉でした。
私が居たせいで、離婚できなかったんだ。そう感じ取って、酷く落ち込みました。
生まれた日なんてめでたくもない
そもそも自分がキライで、生きていく事も辛い時期がありました。
忌み嫌う自分が生まれてしまった日。誕生日というのは祝うどころか、憎く辛い日でもありました。
どうして誕生日がキライじゃなくなったのか
今は、そこまで恨みがましく思ってはいません。そう思えたのにもちょっとした理由があります。
時が解決してくれた
年を取れば、丸くなる。それも大いにあったと思います。学生時代は一番多感ですし、その時の感情は良くも悪くも残りがちです。
育つにつれて色んな事があって、優先すべき事があって、誕生日に目がいかなくなってきたのかもしれないですね。幼い頃は世界が小さく、知識もあまりないので。
思いもよらないお祝いが嬉しかった
職場の人が、ケーキを買ってきてくれて、なじみの店で許可を得て、一緒に食べたときがありました。初めての小さなサプライズパーティで、嬉しいと感じた誕生日会でした。
同じ誕生日の「推し」ができた
気になった俳優さんで、誕生日の同じ人が居て。なんとなく親近感を覚え、誕生日同じだから応援しよう!と思ったのが始まりでした。
自分の誕生日、よりも、その人の誕生日、と思う事が出来て、その日を迎えることが苦ではなくなりました。
人の誕生日を覚えることが苦手
誕生日というものが良い日と思って来れなかったことで、人の誕生日を覚えるのが苦手です。
でもまあ、それでもいいかと思っています。誕生日だけが大切な日ではないので。