自分の顔がキライ、鏡がコワイ・・どんな状態だったか
私は自分の顔がキライでした。
キライというか許しがたいような気持ちでした。鏡を見ることが出来ない時期が続きました。
ほとんどの人は、鏡を見ることに苦手意識は無いと思います。外出前の身だしなみチェック、外出先のトイレで、電車内で、鏡を利用するのではないでしょうか。
私は「私以外の人は、なぜそんなに自分の顔を見る事ができるのだろう」と、いつも不思議でした。
友人に打ち明けましたこともありますが「かわいいのに、なんで」等、言われました。
やっぱり私だけがおかしいのかと、悩んで、辛かったです。
顔の中でも、目はパーツ的に許せたので、鏡を見ないといけない時は、目と髪だけに絞って見ていました。
自分の予測していない時に鏡やガラスが現れて、自分の顔が見えてしまうと「うわっ」と思ってしまい・・・。顔を伏せたり、視界に入らないようにしていました。
挙動不審者だったかもしれません。
転機は、「醜形恐怖症」というものがあると知ったとき
「醜形恐怖症(身体醜形障害)」という言葉を、見かけました。
自分の顔がキライ、顔の中のパーツがキライ、身体つきがキライ、腕がキライ等など・・・・自分を構成する身体のどこか、又は全部に嫌悪感等のマイナス感情があって、毎日何時間も思い悩む症状です。
自分が悩んでいることに当てはまる症状名や、同じような人が居るとわかったときには、「これだーーー!!」と思って、目の前が開けたような気がしました。
私も毎日何時間も思い悩んでいた時期もありましたが、キライなのが顔ということで、鏡などを見なければ回避できたのが比較的幸いでした。嫌いな自分の顔が視界に入らないので、いそがしかったり他の事をしているときには注意がそちらに向きます。
自分の嫌いな顔をさらしながら外を歩くのもしんどくはありました・・・。前髪のばしたり、タオルで口元を隠したり。
原因として考えられること
「醜形恐怖症」の全てが解明されているわけではないようですが、幼少期の過干渉やネガティブな言葉かけなどが原因の一つとなるようです。
私が幼い頃、親は過干渉でした。クラスメイトから、いじめを受けていた時期もありました。その後、減量には成功したのですが、顔は取り替えられないので、それも大きいのかもしれません。
いじめられていた時には「ブス」「デブ」「ブタ」「しね」「おまえなんか生きていても・・・」そんな言葉を浴びせられ、「私なんか・・・」と思っていました。これが心に深い傷を与え、脳に刷り込まれ、色々な症状を引き起こしたのだと思います。
自己肯定感も繋がっている・・・?
「自己肯定感」という言葉を書店で見かけだした頃、私はこれにも該当するなと思っていました。
「自己肯定感」が高い、低いなどには、保護者のかかわり方、いじめの有無などが要因として挙げられています。要因としては「醜形恐怖」と似ています。
私の場合、親とのやりとり、いじめなどから、自分はダメな人間だ、ダメな顔だと、心身に刻み込まれてしまったのだと思います。
現状はどうか?
自分の悩みが言葉で表現される事を知り、他にも悩んでいる人がいることを知り「自分だけがおかしい」わけではないとわかって、随分と気が楽になりました。
昔のいじめが問題なのであれば「私は悪くなかった」と思えます。いじめっこ達からの刷り込みに縛られる必要もありません。
自分が悪いわけではない
「醜形恐怖」という言葉にたどり着くまでに、10年以上かかりました。その間、ずっと苦しかった。
私は病院で診断を受けてはいません。もしかしたら醜形恐怖とはいえないのかもしれません。でも、「そういうこと」があると知っただけで、随分と心が軽くなり、鏡が怖くなくなりました。
もしも同じような悩みの人が、少しでも早く、少しでも癒えたらいいなと願っています。
自分の顔がキライ、腕がキライ、足がキライ、見た目がキライ・・・誰かからの刷り込みかもしれません。自分にマイナスをもたらす人の言葉に締め付けられる必要はないんです。
私のように、知っただけでも気持ちが変わる場合もあれば、誰かの助けが必要なこともあると思います。しんどくて辛いときには、専門機関の助けを借りて欲しいなと思います。