食事に関しての話は難しい
自分の食事に関して「間違っていないか」「あまり正しくない」かどうか、考える事はあまりないと思います。

例えば食事以外。
お風呂の入り方とか、トイレの使い方、洗濯物の出し方、干し方、着替えの仕方、歩き方、スマホの持ち方・・・自分が無意識にやっていることが、普通なのか、良いか悪いか、マナー違反か、健康に関係するか。普段は、そんな事考えもしないのではないでしょうか。
TVやインターネットで別の情報に触れて、初めて「自分はどうなのか?」と考えるわけです。その情報を見なければ「自分はどうか?」と振り返るでしょうか。
毎日のことで、自分の習慣としていることは、特に疑問を持たないことの方がほとんどでしょう。
「普通」にしていたことに、「見直しては?」と声をかけることは意外と難しいです。「見直す」ということは、「間違ってるかもしれない」から見直すわけです。
人から「間違っている」と指摘されると、ネガティブ感情を持つ人の方もいます。自分を「否定された」と感じるとネガティブ感情をもつのも、自然なことでもあると思います。
自分の「普通」は「一般的」なのか?
自分の「普通」は「一般的」なのか?ということは
TVやインターネット、ふとした会話などから他の比較情報に触れないと、考えたりしません。
自分にとっては、それが「普通」の生活習慣だからです。
自分自身で困ることがあれば変えたり調べるけれど、何も問題なければ調べないし、変えません。

経済的な問題がある
「食事」には経済面が直結します。
一般的に、お金の工面をしようとすると、まず食費が削られてしまいます。
「食費」しか削れないというのが正確かもしれません。物価高騰中の現在では、さらに削るしかない状況も生まれやすいと思います。
健康のために食べて欲しい野菜・魚ですが、特に高価格帯になりやすいです。ローカロリー食品なので、エネルギー確保には役に立ちにくい食品でもあります。
経済面で困っている方に、「野菜・魚を食べましょう」とはなかなか言いにくい現実もあります。また学校で栄養に関する授業をして、家庭に持ち帰って貰っても、保護者を苦しめるだけな可能性もあります。これに悩みを抱える栄養士や教員もいると思います。

恥ずかしいという気持ち
自分の食生活を人に知られることが「恥ずかしい」と感じる人もいます。
経済面がからんでいると、余計恥ずかしいと感じる人もいます。
自分の習慣について、人と話すこと自体が煩わしい人もいると思います。
最近は、対面だけでなく、インターネットやアプリ上で、顔を出さず個人特定されずに食事の話ができる場所もあります。こういった場所であれば少しはハードルが下がるのかなと思います。
もし少しでも気になる方は、自分が操作しやすい・見やすいアプリを探すのもいいかもしれません。